緋山酔恭の「価値論」 ヴァルダマーナの相対主義 「真理は相対」の間違え



価 値 論


q第二章

普遍とはなに?


 




絶対・相対 編




絶対主義・相対主義の間違え



相対主義とは、懐疑論のように

真理を知る可能性を疑うのではなく


真理の客観性を疑い

≪立場の違いによって多くの真理が存在する≫と考えます


真理=主観性 と考えるのです


この考えからいくと

≪絶対性をもつ真理は存在しない≫ということになります





絶対主義とは

「絶対的な真理」や「絶対的な価値基準」を認める立場をいいます



絶対的な真理とは、神(絶対者)とか

宇宙の根本原理とか、宇宙根源の法則とかいったものです


プラトンのイデアもこういったものの一種で

事物を成り立たせている根源的な原理です




〔 ちなみに、政治上の絶対主義とは

君主が、何者にも拘束されない

絶対的な権力をもつ政治体制をいいます 〕






相対主義の代表 プロタゴス(前490~前420頃)は

「人間は万物の尺度である」と説き

個人の主観的判断以外に真理はないとして

真理の≪客観性≫と≪絶対性≫を否定しています




これに対し、カントなどは

人間は、客観的な視点に立つことが不可能であるとしても

認識の原理は、全ての人間において、一緒であるから

個々人の主観は、客観性をもつと反論しています




また、プラトンや宗教のような「絶対主義」においては

神(絶対者)とか、宇宙の根本原理とか

宇宙根源の法則とかいった客観性をもつ絶対的な真理を


「魂」(哲学ではこれを「理性」と呼ぶこともある)によって

認識することが可能であるという立場にあります




以上のように、絶対主義、相対主義という概念は

本来、「認識」についての立場の違いなのです



ところが、絶対主義においては

≪「絶対的な価値基準」を認める立場である≫

というように、なんの根拠も示さないままに


「絶対的な真理」=「絶対的な価値」

という図式を成立させているのです


価値とは、好みとか必要性ですよ(笑)




結局、絶対主義とは、神とかイデアとかいった

ホントは「相対=価値」でしかないものを


≪絶対的な真理≫とか、≪絶対的な価値≫とか

主張する立場である ということです





一方、相対主義とは

ある人には、風は温かく感じられ、別の人には冷たく感じられる

「風そのものは、温かいのか冷たいのか」

という問いには答えがない


というように


主観的判断以外に「真理はない」という考えから

あらゆる真理の絶対性と客観性を否定する立場です



すなわち、神(絶対者)とか、宇宙の原理とか、イデアとかいった

絶対的真理、究極的な真理に、限定される話ではありません





以上、述べてきたように

相対主義とは、「真理」を否定する立場であり

絶対主義とは、「価値」を主張する立場です


扱う概念が「認識」と「評価」で違うのです


つまり、両者には、根本的関連性はないのです




西洋哲学において

真理(認識の概念)と、価値(評価の概念)が

ごっちゃに語られるのは

こうしたことが理解されていないからです






真理と価値の関係について明らかにしておきましょう


≪我が国において、王は、絶対的な権力をもつ≫


まず、この文章に対する

「真理」(事実)か、「虚偽」かの判断が成り立ちます


「真」と言えたとしましょう



すると、その真実に対して、価値の判断が成り立ちます


価値とは「好み」や「必要性」をいいます


価値の判断には

「好き・嫌い」 「美・醜」 「損・得」 「善・悪」 などの判断があります



王の絶対的権力によって

恩恵を受けている人たちにおいては

王の権力は「価値」(利や得)となり


自由を奪われている人たちにおいては

王の権力は「反価値」(悪) ということになります



これが、真理と価値の関係なのです





神が、全知全能であり

≪困ったときに助けでくれて

平等に管理してくれる存在である≫というなら


人間ばかりにいい思いをさせるだけでなく

あらゆる存在にいい思いをさせているはずです



人間にだけに、いい思いをさせる神というなら

人間にとっては「絶対的な価値」だとしても

バッタやカエルにはどうなんだという話になりますよ(笑)



バッタやカエルに言わせたら

「俺たちのことを考慮に入れてくれない神なんていらないよ」

ということになります




つまり、ある「真理」が

主体〔人間なり、Aさんなり、Bさんなり、カエルなり、バッタなり〕

にとって「価値」(必要性)であるかどうかは

また別の話であるということです



これが「真理」と「価値」の関係です






価値とは、相対(人それぞれ)というばかりでなく

ある絵を観て「美しいなぁ」と感じても

もっと美しい絵を観たら、前の絵はそうでもなくなるというように


個人レベルにおいても

自己の置かれている状況や状態により変動的なのです


また、価値は創造できますが、真理は創造できません



すなわち、価値には、そもそも「絶対主義」など存在しないのです




真理と価値の違いは

真理は、ものごとを明らかにしてゆくところにあり

価値は、幸福を求めるところにあるのです






真理というものは

1+1の答えが、絶対に、かつ永遠に

2であるように「絶対性」と「永遠性」を持ちます


真理とは、絶対性の概念です


このような、真理に、相対主義が成立するとしたら

「認識は人(主観)によって違う」

「認識なんてあやふや」というものでしかあり得ません



西洋哲学というのは

学者先生が、ご飯を食べるために、この議論を何千年としています




現代でも、西洋哲学において

絶対主義が正しいとか、相対主義が正しいとかいった

アホな論争がおこなわれていますが

そもそも、価値に、絶対主義など存在しないのです



繰り返し書きますが

価値とは、正しい・間違えに存在するのではなく

幸福を求めるところに存在するからです




第三章 イデアの正体

プラトンのイデア論 ① ②




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