緋山酔恭の「価値論」 真理とはなに? 悟りとはなに? 釈迦の真理は正しいか?



価 値 論


q第四章

真理とはなに?


 




【 悟りとはなに? 編 】


( 価値論 根幹部b )




釈迦の真理は正しいか?



ここまで読むと

釈迦の考えって「真理」に近いんじゃない?

なんて思ってしまいますよね


いやいや、そんなことないのです




では、地震がおきました

机の上のコップが落ちて割れてしまいました

という話になると


なにをもって「因」とし

なにをもって「縁」とするのか? ということになります



根本的な因は、地震なのか? コップがガラスだったからなのか?

はたまた重力なのか? ということです



自分という軸を決めずに

巨視的な視点でとらえると

「結果はいくつかの原因が集まって生じている」

という≪因中無果≫のほうが正しいと言えるのかもしれません






ビッグバン運命論

でこのよう↓に書きました



竜太  自分も18歳のとき

“もし運命があるとしたら”

というのを考えたことがあったよ


宇宙レベルからも、粒子レベルからも

この世界の全ての現象は

物質と物質の反応によって起こっているでしょ


分子レベルで語ると

分子と分子の衝突が起き

あらゆる現象が起きている


心(精神作用)も分子と分子の衝突による

反応の結果と言える



そこで、我々の全ての行為(心の作用も含め)は

本当は意志によるものではなく

原子と原子、分子と分子、物質と物質の衝突による現象にすぎない

と考えみたんだよ



すると、≪神が宇宙を創造したとき、1つの行為を与えた

その神の最初の行為、最初の原因に

物質の衝突がおこり、反応として結果が生じた


その結果に、また物質の衝突による化学反応がおき

次の結果を生じる


その結果に・・・


我々の全ての行為は、この連続性のなかの結果に他ならない

あるいは原因に他ならない


また、我々の存在自体も

この連続性のなかの反応の結果である  とね・・・




酔恭  なるほど・・・

宇宙の全てのことは

物質と物質の衝突による反応によって起こっている


人間の全ての行為(心の作用も含め)も

物質と物質の 物理的・化学的・電気的な反応の

連続性として起きている



その最初を突き詰めていくと

神の最初になした行為にいきつく



つまり、全ての行為は、神の最初になした行為によって

必然の連鎖として起こった反応であり

運命的また必然的に決められていて、人間に自由意志はない

ということだね



ただ、神の最初の行為が「神の意志」

によってなされたものであるなら

“全てが神の意志”によるということになる


でも、神の最初の行為が

「意志によらず偶然なした行為」であるなら


宇宙の全ての現象は

神の最初の行為によって

運命づけられた必然であるとしても

“神の意志ではない”ということにならないかな(笑)






竜太  じつはこの理論は

「神」の存在を考えなくても科学としてちゃんと成立するんだよ


現在の科学では、宇宙は138億年前に

原子よりも小さい点から、ビッグバンによって誕生した

というのが「定説」になっている



すると、この世界は

最初にビッグバンという化学反応が起きて


宇宙の全ては

そこからの原子と原子、また分子と分子の

物理的、化学的あるいは電気的な反応の連鎖によって

起きていることになる



つまり、昨日、マックに行ったのも

今、ここでこうして話をしているのも


最初に起きたビッグバンによって

運命づけられていることになるよね




酔恭  よく「生まれたときから、出会う人がすでに決まっている」

なんて言うけど、生まれたときじゃなくて

宇宙が誕生したときにすでに決められているわけだ



すると「こんなとこにモノ置くなよ

けつまづいちゃったじゃない」→


「俺のせいじゃないよ

宇宙が誕生したときから決まっていたんだから」

という話になるな(笑)



それに、神様のスタートがビッグバンじゃなかったら

人間の運命は別の運命をたどっていたかもしれない

ってことも言えるけど(笑)




酔恭  「ラプラスの悪魔」からだと

各個人の原因による

未来・運命しか導き出せないのに対し


竜太のこの説はそれを超えて

一つ(神やビッグバン)の原因よる

未来・運命が示されているところに

おもしろさがあるね





【 ラプラスの悪魔」とは

フランスの数学者・物理学者の

ピエール・シモン・ラプラス(1749~1827)によって提唱


現代的に言うと

≪仮に、この宇宙に存在する全ての原子の運動と位置を

知ることができるような悪魔が存在し

それを現代の物理学の理論と超越計算をもってすれば

原子の時間的変化を全て計算できることになる

つまりはこの悪魔は未来の起こりうる全ての現象を

知っていることになる≫ということになる といった理論 】





このように

もっと巨視的な視点でとらえると

一元論的な≪因中有果≫のほうが正しい

とさえ言えるのです(笑)




世界は「縁起」という

関係性や調和性、相互作用によって

展開しているように思えます


しかし、それは、世界が

あらかじめ決められた関係性や調和性において

交流(相互作用)し、展開しているだけである

という話も成り立つということです






なお、哲学には、神の存在を証明する方法の1つに

「宇宙論的証明」というのがあります



原因となった出来事を考えると

この出来事にもまた原因がなければならない

原因の原因の原因の・・・とさかのぼっていくと

根本的な原因があり、この根因こそが神であるとするものです




「宇宙論的証明」は

スコラ哲学において最大の哲学者とされる

トマス・アクィナス(1225頃~1274)によって語られましたが

そのヒントは、アリストテレス(前384~前322)にあるといいます


〔 スコラ哲学とは、中世に、ヨーロッパの教会・修道院に付嘱する学校や

大学の神学部で、研究された神学的な哲学 〕





アリストテレスの地球中心説では

宇宙は、地球を中心に円運動によって、規則正しく動いています


そして、その運動の根本的原因は

不動の動者(何者にも動かされず、他のものを動かす)=神

であるとしています



世界の様々な出来事の原因を

原因の原因、またさらにその原因・・・とさかのぼってゆくと

最終的に、第一原因=原因者=不動の動者=神

にたどりつくと考えたわけです





この「宇宙論的証明」というのは


現在の宇宙の原因に、ビッグバンがあり

ビッグバンの原因に、インフレーションがあり

インフレーションの原因に、〇〇があり

〇〇の原因には、過去の宇宙のビッグクランチがあり・・・


といった無限遡及(そきゅう)をどこかでストップさせ

「神」が、根本的原因であるとする論理です



結局、因果の系列を無視する非科学的な話ということになります




≪ インフレーション・・・ ビッグバンが起こる前に

原子より小さい点が「インフレーション」という

火の玉のようになる現象があったという


宇宙の始まりから同じペースで膨張していたとすれば

宇宙はもっと場所による違いが大きいはずだとか


ビッグバン理論だけでは、恒星や銀河が生成され

しかも膨張をつづけていくための質量の値が得られない

とかいった問題点を解決するために語られるようになった

いわばご都合主義の産物 ≫




≪ ビッグクランチ・・・ 宇宙の終わりの説の1つで

ビッグバンとは逆で、膨張している宇宙が収縮に転じ

物質が圧縮されてゆき、温度もどんどん上昇し

最後には高密度・高温の原子よりも小さい点に戻るというもの


このあと再び新たなピックバンがおきて次の宇宙が生成される

宇宙は、膨張と収縮を繰り返すという説もあり

現在の宇宙も最初の宇宙ではないという話もある ≫





また「神が世界を創造した」(聖書)と

「神=世界の根本因」では、違います


前者は、世界が創造される以前から

神が存在していたことになり


後者は、神は、世界の原初とともにある ということになります



一神教の「神」というのは、世界なり宇宙なりの創造神です

ということは、世界よりも前に存在していなくてはなりません


つまり、宇宙論的存在証明は、神の存在を証明できていない

ということです




神に質問してみましょう


私 「神様、あなたは、無限ではなく有限ですよね

だって初めがあるのだから」


神 「いやいや、私は、未来永劫、存在する」


私 「でも、何百億年後の現在においても、何千億年後の現在においても

誰かが、私と同じ質問ができますよ」



つまり、宇宙論的証明の神は

いつの≪現在≫においても【無限】ではないのです





竜太の運命論というのは

最初の原因がなにか?を、問題にしたものではなく


原因がなんであれ

「存在」「運動」「心」さらに「世界」といった

全てが、決定論的に運命づけられている

という話であり、現在の科学論に反していないのです


そこに、おもしろさがあるのです



世界(過去の宇宙も含めて)の原因を、無限に遡及できるとしても

つまりビッグバンが、世界の根本因ではなく

過程の因、途中の因であったとしても 成り立つのです




≪悟り≫とはなに?




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