緋山酔恭の「価値論」 主体性=真理の哲学 サルトルの「即自」



価 値 論


q第四章

真理とはなに?


 




【 主体性=真理 】




サルトルの「即自」



フランスの実存主義の哲学者

サルトル(1905~1980・

ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル)は


文学者でもあり

「いかなる人間でも生きながら神格化されるには値しない」

といってノーベル文学賞を辞退しています



彼の思想は1960年代に

日本を含め各国の若者に大きな影響を与えました



また、共産主義者としても知られ

ソ連の立場や、植民地独立の武装闘争を支持し

のちには反スターリン主義の毛沢東を支持しています



なお、斜視で、右目は3歳からほぼ失明していたそうですが

73年頃、左目も失明しています



フェミニズム(性差別に反対し女性の解放を主張する思想・運動)の

批評家であり、作家の シモーヌ・ド・ボーヴォワールとは

事実婚状態にあり


夫婦の理想像として

「サルトルとボーヴォワールのように」という

キャッチフレーズも流行したといいます





サルトルは

事物は、つねに自己に対して

自己同一的なあり方(即自)として存在している


これに対して人間は、どんなときでも

自分を意識するあり方(対自)として存在し

自己同一的なあり方にはない

だから、人間は本質をもっていない

といいます





曹洞宗(臨済宗と並ぶ禅宗の代表)の祖

道元(1200~53)は


"而今(にきん)の山水は、古仏の道(どう)現成(げんじょう)なり

ともに法位に住して、究尽(ぐうじん)の功徳を成ぜり

空劫(くうこう)已前(いぜん)の消息なるがゆえに

而今(にきん)の活計(かっけい)なり"


〔今ある山水は、過去からの永遠なる仏の現れである

山は山として、水は水としてあるべき姿にあり

究極の働きを成就しつくしている

その働き(功徳)は、この世界が成立する以前からの

情報(消息)であり、現在もいきいきと働いているのである〕

と述べています


つまり、山は山として、水は水として即自にあります



サルトルに言わせると

これに対し人間は、自分に対し自分を根拠づけられないので

本質が無いということです





さらに

≪神が万物を無から創造したとすれば

創造するものが何であるかを

あらかじめ決めてて創造するはずである

あらかじめ本質を決めてから、現実の存在として創造するはずである

ところが、人間には本質がない だから、創造神は存在しない≫


というのが彼の立場で

無神論的実存主義と呼ばれています




彼は、"実存は本質に先立つ"という有名な言葉を残しています

"本質が実存より先立つ"というと

紙を切るという本質がまずあって

そこからハサミが創造されたということですが


人間の場合、"実存が本質に先立つ"ということです




サルトルに言わせると「対自」とは

≪つねに、悩み、不安、迷いなどにつきまとわれていて

本来的なあり方にない状態≫ということになります




そして、≪人間は本質をもっていない

それゆえ、自分でつくる義務がある


本質をつくるとは、自分がどのようにありたいのか

またどのようにあるべきかを思い描き行動することであり

その自由を人間はもっている≫とし


「人間は自由という刑に処せられている」と述べています





サルトルの哲学の欠陥を書いておくと


「人間は本質をもっていないゆえ、自分でつくる義務がある」

と語る自分自身の言葉に


すでに人間の「使命」=「本質」を明かしてしまっている

ことに気づいていません


あるいは、気づいていたのかもしれませんが

その矛盾を解決しないまま、先に進んでしまったと言えます





さらに

「人間は本質を持っていないゆえ、自分でつくる義務がある」

と言いますが


その義務=マスト〔must・しなければならない〕の根拠を

明らかにしていないところです



神に対してのマスト(義務)なのか

人間の社会が人間に課しているマストなのか


宗教的あるいは倫理的な原理として

人間に内在しているマストなのか


自然界の法則として人間に課せられたマストなのか

何も明らかにしていないのです




いずれにせよ

サルトルは、≪本質≫という言葉について

定義すらしないで、論理を組み立ててしまっている ということです





幸福の源泉は

「救済原理」〔自分を成り立たせている根源的な論理〕

「存在の根拠」です


存在の根拠は、人によってそれぞれです


仕事、家庭、趣味、宗教、思想、容姿・・・などなど



「私は〇〇ラーメン店で麺打ちが一番早くできる」

「私は〇〇家の父である」

「私はこんな珍しいモノを持っている」

「私たちは神に選ばれた選民である」

「日本は神国である」・・・・



人によって、救済原理、存在の根拠はさまざまですが

それによって自分という存在を成り立たせ

人生に生きる意味を与え、生きがいとアイデンティティーを得て

人はここに、こうしているのです



サルトルのいう「本質」とは

自己の救済原理、自己の存在根拠のなにものでもないはずです




キルケゴールの「真理」




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