プラトンのイデア論 ③ プラトンのいう「絶対不変の善」「人類共通の善」とは何でしょう? 人間はモノやコトに名称をつけて区別します そうしないとみんな一緒ということになり 世界が訳がわからなくなってしまうからです りんご、山、食事、善・・・などなど 人間の認識能力によって認識したものに名称をつけて区別します プラトンのいう「絶対不変の善」「人類共通の善」の正体は 最初に人類によって「善」と名づけられた「あるコト」(ある行為)です おそらく それは ≪自分可愛さの欲を捨て、他者や集団のために行動する≫ といったような行為や心情であったと思われます このような「原型の善」は いつの時代でも、またどのような社会においても いつでもどこでも「善」とされているのです なぜなら、人間の認識能力が いつの時代でも、またどのような社会においても さほど変わらないからです つまり、不変であるし、客観性を持ちます それゆえ、あくまで≪人間においての≫という前提を置けば ≪真理≫と言っても間違えではないような気もします ところが、社会の価値となる 善だとか、正義だとか、愛だとか、平和だとかいう概念は 時代が進み、社会が複雑化してくるに従って その内容が多様化してくるのはあたりまえです 多様化してくるのがあたりまえなのは 正義だとか、愛だとか、平和だとかいう概念が そのときの社会の価値判断で決まってくるからです プラトンのイデア論 ④ 美人とブスの子が喧嘩していたら 美人の子の味方をしたくなる 価値判断の多くは 主観的な感情判断だとはいえ (意志、あるいは知性や理性による価値判断もあるが) 美人とブスの子が喧嘩していたら 美人の子の味方をしたくなる という心理が 普遍的なもの(=人類共通的なもの)だとするとどうですか? 美人についての内容(観念や概念)は 個人、民族、社会、あるいは時代によって 様々だとしても ≪美人の子の味方をしたくなる≫ といった心理の源である「美人」という観念や概念のなかに 人類共通のなんらかの要素が存在しているのではないか? という考えが、浮かんできます 答えをいうと 「美人」という言葉の観念や概念のなかに 「この子と付き合えれば自己顕示欲がみたされる」とか 「この子と結婚できれば、自分の人生は幸せだ」みたいな 自己保存的な欲求が、含まれているということです すなわち美人という言葉がもつ世界には 自己保存的な欲求が 普遍的、客観的な価値として存在しているのです だから、美人とブスの子が喧嘩していたら 美人の子の味方をしたくなる心理が 普遍的なもの、人類共通的なものとして認められるのです これは、美人という存在自体に 唯物論的(=固定的)に価値が存在しているのではなく 美人という存在についての人間の思考内容に 唯物論的(=固定的)に 普遍性、客観性をもつ価値が存在しているということです 【 なお「観念」と「概念」は どちらも「〇〇とはこういうものだ」 という認識、思考内容ですが 観念は、概念よりも、主観性が強く 概念は、観念よりも、客観性、共通性、普遍性をもつとされます このため「固定観念」という言葉はあっても 「固定概念」という言葉は不適切とされます また「概念」は、愛の概念とか、神の概念というように 言葉を前提として その言葉の指し示す意味として語られます 】 プラトンは、善(価値)の本質は 相対性ではなく、絶対性や不変性である と考えたとされていますが 価値の本質は あくまで、相対性や流動性です では、どこに 絶対性や不変性、あるいは普遍性や客観性が 存在しているのでしょうか? じつは 言葉として区別された「原型の善」には 自分可愛さの欲を捨て 他者や集団のために行動する=自己犠牲 というような観念だけでなく 自分の存在根拠となる帰属集団を守る ひいては、自分の存在根拠を守る=自己保存 というような観念も含まれているのです 人間というのは、自分だけお金もちになりたいし 自分だけがうまくやりたい そこで支配層が生まれ トランプの[大貧民]のように 自分たちがずっといい思いをするための≪構造≫をつくったわけで 下部構造の者にも、逆転のチャンスが与えられている [資本主義]という政治思想は そのための≪たてまえ≫なのかもしれないですよ(笑) そんな構造を守るための言葉として、また概念として 「善」というものが存在している ということです 第四章 真理とはなに?の巻 【 数学・物理学 編 】 ピタゴラスと無理数 プラトンのイデア論 ① ② (ひとつ戻る) |
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