緋山酔恭の「価値論」 観念の塊の哲学 パスカルのバーチャル思考



価 値 論


q第四章

真理とはなに?


 




【 観念の塊 編 】




パスカルのバーチャル思考



パスカル〔1623~62・

フランスの哲学者、物理学者、数学者〕は


≪ 人間は水辺に生える葦のように自然の中で最も弱い存在である

これに対して、宇宙は一滴の水によって人間を殺すことができる


しかし、宇宙は何も知らないのに、人間は死ぬことと

宇宙が自分以上の存在であることを知っている

人間は、自らの悲惨を理解している

だから宇宙よりも偉大である ≫


また、≪ 宇宙は空間により人間を1つの点として飲み込むことができるが

人間は思考によって宇宙を飲み込むことができる

ゆえに、人間は宇宙よりも偉大である ≫


ということから

「人間は考える葦である」


という有名な言葉を残していますが


さらにこう続きます



≪ こういった人間の偉大さと悲惨さ・

卑小さを知っているのが真の宗教であり

それはキリスト教以外にない


モンテーニュ(1533~92・フランスの哲学者。懐疑論者)は

人間の卑小さだけを見て

偉大さに眼を向けなかった。ゆえに救われがたき懐疑に陥った


人間がもつ悲惨と偉大という矛盾は

人性と神性の両面をもつイエス・キリストにしか解決できない


だから、哲学者は人間が持つこの矛盾を解決しようとしてはならない

人間は自分の悲惨を知っているゆえ偉大ではあるが

かといってそれで救済されるわけではない ≫


≪ 哲学すなわち人間学的次元では、人間の救済は実現しない

信仰によってはじめて実現するのである

神を直観できるのは、理性ではなく、心情すなわち信仰であるからだ ≫





ちなみに、パスカルは「ジャンセニズム」という

神の恩寵を重視し、人間の無力を強調する

カトリックの神学的な立場、運動の支持者でした


但し、ジャンセニズムは

プロテスタンチズムのような新たな神学運動ではなく

もともとの教えを厳格に実践せよという運動です



とはいえ、教会組織の改革なども含まれていたことから

フランスでおこったジャンセニズムは

ヨーロッパのカトリック教会に論争をまきおこし

ローマ教会より弾圧され消滅していきました




パスカルは、ジャンセニズムを離れた後

神を疑う者を信仰に導くために

「キリスト教弁証論」を書いています


これは未完のまま没しましたが、メモ書きが彼の死後にまとめられ

「パンセ(瞑想録)」と題して出版されています


「人間は考える葦である」というのはそこにみられる言葉です




彼も、≪神≫という言葉のもつバーチャルな世界を根拠に

「人間」「宇宙」「救済」「哲学」といった概念を定義し

それを、真実の如く語ってしまっています



パスカルの

「われわれは理性によってのみではなく、心によって真実を知る」

という言葉もわりとよく知られていますが


バーチャルな世界を、あたかも真実のように語る

これこそが「人間」という存在の真実であるということです




つまり、合理的な思考ができないから

バーチャル世界を積み上げ、そこに合理性をもたせて語ってしまう


これが、我々の思考形式であるということです




スピノザの「神即自然」




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