【 パルメニデス 編 】 究極の真理について 我々の世界が、欺瞞、怠惰、不条理 不平等の世界であっても 神仏の真理を悟っている「真理の保持者」がいて 彼の言葉に従えば、神の約束どおり 真理が全世界を覆う なんて構図から成り立つ宗教も多いです 最近の日本でいうと「真理の保持者」を主張した あるいは主張する代表的な存在が オウム真理教の麻原彰晃だったり 幸福の科学の大川隆法だったりするのです キリスト教なら 唯一絶対神が6日間で宇宙の全てを創造したとか マリアが処女のままイエスを産んだとか 悪魔はもともと天上界にいた天使で イエスの試練に耐えきれず地上に落とされた堕天使である などといった真理があります また、聖書が、神の言葉=真理 なのです 創価学会のような日蓮系においては 南無妙法蓮華経が、宇宙の真理です 宇宙の仏界、宇宙の根本原理、宇宙究極の法則、幸福のリズム であるとともに 自己に内在する道徳的な原理でもあり 尊極の生命でもあるのです そこで 日蓮の図顕した曼荼羅に、南無妙法蓮華経(題目)を唱えると 自己に内在する南無妙法蓮華経(仏界の生命・仏性)が 大宇宙の仏界である南無妙法蓮華経 曼荼羅を介して、合致するという話になっているのです そもそも、真理というのは 地動説なら、人間にとってもバッタにとっても 地球は太陽の周りを回っているということで同じですが ほとんどのことは、あてはまりません 「これはコップである」(真理)といったって ありんこは「壁」としか見ていないかも知れませんし 恐竜がいたら「チリ」にしか見ていないかもしれません さらに「究極の正解」「究極の真理」なんて話になると 宇宙の法則を全て理解しなければ語ってはいけないはずです ところが人間は五感で認識できるモノやコトしか利用できないとされます 電気も「雷」や「静電気」を我々の五感でとらえることができたから 利用できたわけです 五感で認識できないモノやコトは存在としてあっても 人間にとって存在しないのと等しいのです なので科学で分っている宇宙の法則などほんのわずかだと言われています つまり「真理」といっても あくまで≪人間の認識において≫とか ≪人間の決め事において≫といった前提がつくということです ≪真理の独立性を認めず 主観に関わらない客観的な真理は存在しない≫ とする立場を「主観主義」といいますが 「主観に関わらない真理は存在しない」のではなく 宇宙の全ての法則が分からずに 一部だけで真実を語っても それは主観=価値 になってしまう ということです だいたい、宇宙の一部しか知らずに 「神は唯一絶対」だとか 「南無妙法蓮華経は宇宙の根本原理だ」とか 言っているのだから この事実1つとっても こういったたぐいの真理が 自分の信じたいものだけを信じているにすぎない つまり、価値にすぎない というのが分かるというものです(笑) それに 自分の信じたいものだけを信じているにすぎない くせに 究極的な真理を語るのですから こういうのを語る人は 「敬虔」なのでなく「傲慢」なのです パルメニデスの「ある」 ① (ひとつ戻る) ![]() ホログラフィック理論のデタラメを暴く |
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