【 価値の正体 編 】 ( 価値論 根幹部a ) 価値は独立的に生じている? では、価値とは、環境(状況・状態)と一体の自己が 一方的かつ独立的に対象を評価することによって生じている でいいのでしょうか? そうではないのです 環境(状況・状態)と一体の自己が 一方的に評価を与えるのが価値判断ではありますが 多くの場合、「独立的」に評価を与えるわけではないのです 環境と一体の自分とは つねに、世間のパラダイム(常識や人気、しがらみやしきたりなど) とも一体であるということです なので、人間という存在は、世間のパラダイムにひきずられて 価値判断していることが多いのです つまり他者との関係性において 価値判断しているということなのです 例えば「ラーメン食べたい」というのは 一方的かつ独立的な価値判断と言えますが 女の子「この服、流行ってるよね 買ったら」→ お友達「でもみんな似たようなの着てるからなぁ」といった場合 女の子とお友達の評価は決して独立的ではないです なお、心理学では、自分の価値づけを 他人にゆだねている人は、自信が持てないとかいいます しかし、人間というのは多くの場合 世間のパラダイムに引きずられて 価値判断をしているのであって 心理学の論理では、みんながみんなそうなってしまいます(笑) また、親から愛情を受けなかった子供の 「親にほめられたい」という価値基準からくる 「親のために」という心理が、低次元で (価値基準が、親にあるから) 「友達のために」とか 「社会のとかのために」とかいう心理は 主体性にもとづくもので、高次元であり、自己実現である なんていう話もよくなされますが それでは、宗教の信者の心理状態が みんな高次元になってしまいますよ(笑) 重要な点は、価値基準がどこにあろうと 価値判断の原因は、いかなる場合でも 主体の好みや必要性にあるということです すなわち価値というのは 主体性における原理であり 心理学でいう主体性はインチキ、デタラメもいいとこです(笑) フランスの小説家、劇作家、哲学者 アルベール・カミュ 〔1913~60・フランス領アルジェリア出身 46歳の若さでノーベル文学賞受賞。交通事故により急死〕は ≪「反抗」とは、奴隷が突然主人に「否」を突きつける態度で 「これ以上は許すことができない」という境界線が存在し 人は、その外側のものを「否」として退け 内にあるものを「諾」として受け入れる このため「反抗」とは、自分の中にある価値に対する意識である ≫ と述べています これが、主体性です 価値の定義と分類 価値に関係性は関係ないのか? (ひとつ戻る) |
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