【 価値の正体 編 】 ( 価値論 根幹部a ) 真理とはなにか? では、真理とはなにか? ここに水の入っているコップがあったとします このコップの中身を「水である」と言えば真理だし 「火である」といえば虚偽です ただそれだけのことなのです 1+1=2 (真理) 1+1=3 (虚偽) それだけのことなのです また「コップの中身は何か」と問われて 正解は「水」だったとします 他のなにものでもないという意味においては 真理は1つです ただ、「液体」と言っても正解ですし 「水素と酸素の化合物」と言った方が、より本質的です 真理には絶対性があります 1+1はどこまでいっても2です コップの水は、水として絶対性があります 「液体」や「水素と酸素の化合物」というように ≪立場の違いによって多くの真理が存在する≫ という「真理の相対主義」は、間違えです これは、1つの真理が、観点(考察する視点)の違いから 違った表現で、言い表されているにすぎません 但し、「液体」よりも「水」が本質に近く 「水」よりも「水素と酸素の化合物」が本質に近く・・・・ といったように 真理に、≪究極≫とか≪根源≫を 主張するのは不適切と言えます 創価学会では 日蓮の図顕した曼荼羅に、南無妙法蓮華経(題目)を唱えると 自己に内在する南無妙法蓮華経(仏界の生命・仏性)が 大宇宙の仏界である南無妙法蓮華経 曼荼羅を介して、合致する と教えています すなわち、南無妙法蓮華経は 宇宙の仏界、宇宙の根本原理、宇宙究極の法則、幸福のリズム であるとともに 自己に内在する道徳的な原理でもあり 尊極の生命であるということです 日蓮系の教団においては 信じる信じないに関わらず 南無妙法蓮華経は、宇宙根源の法則、究極の原理として 厳然と存在しているなどと語られていますが これは、真理ではなくて、日蓮系の教団における価値なのです 「南無妙法蓮華経」が、宇宙の最高原理であり 宇宙根源の法則であり、究極の真理である なんて話こそが 真理と価値の混同なのです つまり、新カント派の真・善・美に対して 「真理と価値の混同である」 「真理は価値でない」 とした牧口価値論は、画期的な考えで 牧口常三郎氏の思考は カントとか、プラトンとかの価値に対する考えなど およびではありませんが その牧口価値論も 「真理と価値の混同」から脱し切れていない ということなのです 価値と唯心思想 価値の優劣・真理と価値の混同 (ひとつ戻る) |
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