【 価値の正体 編 】 ( 価値論 根幹部a ) 唯物論的な価値の正体 牧口氏は 「何かに役立つためにそのものが持つ価値」 といったような 「唯物論的な価値」の観念を否定し ≪価値は、関係性から生じる≫と論じました 本当に、モノ自体に、価値は存在していないのでしょうか? ≪価値≫を論じるとき 「今」だけでなく、時間軸も考慮する必要があります ラーメンやうどんは ちょっと時間がたつと伸びてしまい、美味しくありません 伸びてしまったラーメンが 将来、価値が生じてくる なんてことにはなりませんよね しかし、傘はどうでしょう? 今、必要なくても 2、3日先には、必要になる=価値が生じる かもしれません そこで 「じゃ、傘というモノ自体に価値があるよね!」 という話を考えてみる必要があります こうしたモノやコト自体に価値がある という価値観念の正体は 牧口氏のいうような「唯物論」的な思考ではなく 1つには ≪時間軸≫を考慮して価値を論じるとそうなるということです コップ→ 水を溜めて口に運ぶ 傘→ 雨のとき濡れるのを防ぐ 炊飯器→ 米を飯にする 爪切り→ 伸びた爪を切る 冷蔵庫→ 食材を腐らせない モノというのは なにかをするための「機能」を持ちます ゆえに、「価値」を持ちます さて 傘→ 雨のとき濡れるのを防ぐ 爪切り→ 伸びた爪を切る このような例は あなたにとって 今現在、傘や爪切りに必要性がなくても=価値がなくても 時間軸をおけば 必要性=価値 が生まれてくるものです では 独楽(こま)→ 回して遊ぶ メンコ→ 相手のメンコをひっくり返して遊ぶ カブトムシ→ 飼育して楽しむ といったモノに あなたの未来に、必要性=価値 が生まれてくるでしょうか? タンスにしまってあった服を捨てる これは、未来に、必要性=価値 が生まれてくる と思って、しまっていたが 必要性が生まれてきそうにないので 結局、捨てた ということに他なりません つまり、モノやコトに「価値」を与え モノやコトとの関係性をつくるのは あくまで、主体です もう1つを明かしましょう この世界のあらゆるモノやコトは 必要性(何かに役立つ)から 人間が創造したり、利用している(空気や水)のです 必要性(何かに役立つ)から 人間が創造した というのは 主体(人間)が、機能=価値 を与えたことを意味します 唯物論的に価値があるというのでなく 主体が与えた 機能=価値 をもつのです ジーパンというのは 普段着としてはけることができ、動きやすいという機能を持ちます これが、ビリビリに破けてしまったら 本来の価値は失われます ところがそこに 主体が、ファッションとしての価値を見いだし 新たな価値を与えることで 本来の機能とは、別の機能をもつことになります これは、主体とモノやコトとの間に 新たな関係性が生まれたことを意味します モノやコト自体に価値がある という唯物論的な価値の観念の正体を 時間という軸と 本来の価値と、新たな価値 で解き明かしましたが このように唯物論的な価値の観念を 明確化したのも、私がはじめてだと思います 「行動心理学」においては 人間の内面的部分は、不確実で客観性に乏しいとし 外に表れる行動だけを研究します コンビニでは、客はどのような動きをするのか→ どのような法則に従って商品を選べるとよいのか といったことから、商品の配置を決めますが これは「行動心理学」にもとづきます すると、そうした配置に 営業利益を向上される指標=目に見えない価値 があった ということになります こうした「目に見えない価値」を見つけ出し 見える化した例が、コンビニの商品配置ということです これも、そもそもそうした配置に、ある種の機能=価値 が ≪唯物論的に≫)内在している ということになりますが その機能を価値化するのは、主体である人間です その意味で、空気や水と一緒です 逆に、唯心論的に考えてみると 人は、様々なモノやコトに対して、欲求が生じます その欲求は、人によって違い それぞれの人が、現実世界に それぞれ独自の価値づけ=意味づけ を与えています そうなると、現実世界とは 個々人の心が生み出した価値の世界である といった表現も可能となるのです また「価値」は、主観(自分)が 対象(客観)に対して位置づけをするもので 主観=自分に由来するものではありますが その主観(自分)は 観察する対象によって主観を得る というおもしさがあります 事実と真実の違い 主観的な価値と客観的な価値 (ひとつ戻る) |
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