緋山酔恭の「価値論」 価値とは? 真理とは? 価値は関係性より生じない



価 値 論


q第一章

価値とはなに?


 




価値の正体 編


( 価値論 根幹部a )




価値は関係性より生じない



しかし、牧口氏の価値論は間違えていますよ


なぜなら価値は

価値判断する自分から生まれるものであって


対象(外界なり、客体なり)との

≪関係性≫から生じるものではないからです




例えば、子供が3つ違ったアイスを買ってきて

「お父さん1つどうぞ」と言ったとします


そこでお父さんは、A(いちご)にしようか

B(チョコ)にしようか、C(抹茶)にしようか考えます



自分のお腹と相談して

「今日はいちごアイス食いたいな」と結論を出し

Aを選ぶわけです




これは、AとBとCを比較し=価値判断し

主体が、一方的にAに価値を与えていることを意味します



主体と客体の関係性から価値が生じているのではなく

主体が一方的に価値を与えているのです




「主体と客体の関係性から価値が生じている」

といえる場合があるとしたら


それは

客体(アイスA)に対し「欲望」があるときのみで

価値判断に関する全てのケースにあてはまらないですし


欲望があるということは

すでに価値判断がなされた状態にある

ということなのです





すなわち、水に対する欲望があるケースのみに

自分と水との関係性から

価値が生じていると言えなくもないということですが


欲望があるということは

水に対して、すでに価値判断がなされた状態にある

ということです






ある人がダイヤモンドより硬い鉱物を発見し

ブログに写真をのせて説明を書いたとします


たまたまその写真をみた鉱物収集家のAさんは

「この石はなんだろう」と知覚判断に入ります


このときまだAさんには

この新鉱物に対して「価値」も

「反価値」(不必要性)も生じていません



しかしブログの説明を読んでいくと

「これは大変な石だ 石をコレクションしていく上で

ぜひとも手にいれたい 自分の人生に絶対必要である」

と感じます



このようにAさんが一方的に価値を与えることによって

この新鉱物ははじめてAさんにとって

価値(自分にとって必要なモノやコト)となるのです




そして「このコトは自分の人生に必要である」とか

「このモノ(水)は自分の生命にとって必要である」とか


「このモノ(傘)は自分にとってこういうとき(雨)に必要である」とか

「このモノは自分にとって今、必要である」などといった


自分とモノやコトとの関係性は

価値判断によってはじめて生まれるのです



つまり、価値判断とは、モノやコトとの関係性を

自己(主体)が一方的に判断することに他ならないわけです




やはり価値は関係性により生じる?




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