【 美・利・善 編 】 プラグマティズム 個人的な功利主義と言える 「プラグマティズム」(実用主義・道具主義) という思想があります ちなみに功利主義とは “最大多数の最大幸福”という倫理と政治の学説です ≪アメリカには哲学がない≫と言われるなか アメリカで誕生した唯一の哲学とされていて 【理念よりも、結果を重視する】という考え方です プラグマティズムを説明するときによく語られる 「吠える犬」という話があります 犬をしつけることができず、庭で飼うことにした その結果、不審者が減った➝ 庭で飼うことは正しかった また、テレビが壊れたので、分解したが直らなかった そこで叩いてみたら直った➝ 叩くという方法は正しかった また、ビジネスの専門知識が豊富な社員A 専門知識はないが、経験によって解決していく社員B Bさんのほうが結果を出す➝ Bさんの方法が正しい Aさんは会社をやめて、コンサルタントとして成功した ➝ Aさんの知識は正しい プラグマティズムの 創始者、提唱者として位置づけられるのは チャールズ・サンダース・パース(1839~1914)で 彼は「結果にもとづいて判断せよ」と説きました パースの考えの継承者である ウィリアム・ジェームス(1842~1910)は その判断は「実際に役立つか、意味があるのかの視点を重視せよ」 と説きました ジョン・デューイ(1859~1952)は、プラグマティズムを 教育、芸術、心理学、民主主義(政治思想)などの分野にもちこみ 世に広めたことで、プラグマティズムの大成者として知られます 彼は、科学の知識や道徳などは よりよく生きるための手段や道具にすぎないと位置づけています なお、プラグマティズムは 「経験不可能な真理は考えることはできない」 というイギリス経験論を引き継ぎ 「唯一の真理の探究を放棄する」という考えに立つといいます デューイの ≪科学の知識(真理)は道具にすぎない≫は 牧口さんの ≪真理は価値ではない≫という考えと一致します とはいえ、価値についての明確な概念の確立と およびその分類はできていません なので、牧口さんの論理には到達できていません それから ≪科学の知識(真理)は道具にすぎない≫の「真理」と ≪唯一の真理の探究を放棄する≫の「真理」とは違います 後者は、形而上学的な真理、経験不可能な真理のことであり 神(絶対者)あるいは 宇宙の根本原理や宇宙根源の法則 (日蓮の南無妙法蓮華経など) といった存在です これらは、ある集団、ある個人にとっての 必要性=価値 であり 幸福になるための最強の道具 となっています こうした理解ができていないのです プラグマティズムですが どちらかというと現実主義者の私でさえ 「哲学なの?」と疑問に感じます なぜなら ≪価値を得ることが一番正しい≫ ≪幸福になることが一番正しい≫ という話でしかないからです 個人的な功利主義でしかないのです しかも、唯一の真理、すなわち 神(絶対者)とか 宇宙の根本原理(日蓮仏法なら南無妙法蓮華経)とか というものは ある集団、ある個人にとって 必要性=価値=幸福を得るための道具 であるにも関わらず そこをまったく理解していない 私が、道具主義=プラグマティズム を語るとしたら 道具主義の最大の存在こそが ≪唯一の真理≫であるということです 【 価値の正体とは? 編 】 ( 価値論 根幹部a ) 価値は関係性より生じない 価値は関係性より生じる (ひとつ戻る) |
|