緋山酔恭の「価値論」 価値とはなに? 真理とはなに? 価値と相対



価 値 論


q第二章

普遍とはなに?


 




普遍と価値 編




価値と相対



存在論の「相対主義」は

あらゆる事物は絶対的に自立するものではなく

他との関係性において成り立ち

他から制限を受け、他とともに変化すると考える立場です



例えば、≪背が高い人≫は

≪背が低い人≫がいなければ想定しえないし

逆もしかりです


相対主義を前提にすれば

他者に全く依存しない≪絶対的に背が高い人≫は存在しない


背が高い人と背が低い人とは相互依存関係にある

ということになるわけです





釈迦は、すべてが、直接的な原因の「因」と

間接的な助因である「縁」が因縁和合して生起する


また新たな因(直接的な因)と

縁(因を助けて果を生じさせる間接的な因)が加われば

たちまち変化する(空)


それにより森羅万象すべてが関係し

世界が成り立っているという「縁起説」を立て


この立場から、創造神や

唯一絶対神のような存在を否定したわけですが


この「縁起」なども、存在論的な相対主義と言えるのかもしれません





また、アインシュタインは、相対性理論において

電車に乗っているBさんにとっては

景色やプラットホームに立つAさんの方が動いているとし

静止系を否定しましたが

これも存在論的な相対主義に近いと言えます






一方、価値論の「相対主義」は


価値の絶対性や普遍妥当性を認めず

価値は時間や空間の違いによって変化すると考える立場をいいます


文化は、時代(時間)や地域(場所)によって違ってくるという

文化相対主義というものも、この一種と言えます




価値が、自己に相(あい)対している

時間や空間の違いによって変わってくるとは

具体的にはどういうことか?



時間によって違うとは

同じ本でも、20歳で読んだときと

30歳で読んだときでは

感じ方やとらえ方が違ってくるというようなこともあるでしょう



感受性の強い20歳のときに感動した箇所が

30歳の今ではそれほどでもなかったり


30歳の今の方が

文章の意味を深く理解できたりするものです



つまり、自己に相対している時間や空間とは

今現在、自己の置かれた環境(状況や状態)と言えます







6つの相対



そこで

「価値は相対的なものである」

あるいは「価値は相対的関係によって生じる」

と言った場合


以下の6つの場合が考えられます




1つは、天と地、昼と夜などと同じように

価値は、AとBという相(あい)対する関係性から

その意味がはっきりしてくるという相対


天と地、昼と夜は、単なる認識ですが

貧乏とお金持ち、憎しみと愛、戦争と平和

抑圧と自由 などという関係がそうです





1つは、自己の価値基準と対象という

相対する関係によって、価値が生じているという相対


「あの子可愛いなぁ」 「まぁまぁじゃね」





1つは、私と他者(世間のパラダイム)という

相対する関係によって、価値が生じているという相対


「この服、ほしい だって今、流行(はやり)だもん」





1つは、自己に相(あい)対している

時間や空間の違いによって、価値が変わってくるという相対


山で遭難したらダイヤモンドに価値はない

水にこそ価値がある





1つは、価値は絶対的に自立するものではなく

どちらか一方が変化するともう一方も変化するという

相(あい)対する関係にあるという相対


つまり互いに制限を受けつつ、生じているという相対


お金とモノの関係などがこれにあたり

モノの価値が高くなると

たくさんのお金を出さなければ買えなくなる=お金の価値が下がる



また、価値は、自己の基準と対象との関係性から生じ

自己の基準が変化したり、対象が変化すると

価値判断も変化するというのもこの意味にあたる





さらに1つは


「50点以上の人はみな合格」が絶対的評価であるのに対し


「今回のテスト70点とったよ すごいだろ」

「平均点が80点なんだからダメだよ」というのが相対的評価


つまり、他の人との関係によって価値が違ってくるという相対



この意味から「価値は相対」というと

価値を得られるか得られないかは

同じ目的を持つ人の量や質によって決まってくるということになる



「歌手になりたいって 歌が上手なのは分るけど

世の中、歌のうまいのはごまんといるからなぁ」





雨 ⇄ 車の事故   雨 ⇄ 傘の使用

雨 ⇄ 気分   雨 ⇄ 電車の混み具合


2つの事象の間に、関係性が認められると

両者は、「相関関係」をもつといいます


なお、相関関係には、正と負があります


片方が増えると、もう片方も増える   雨 ⇄ 電車の混み具合 (正の相関関係)


片方が増えると、もう片方は減る   片方が増えると、もう片方は減る




因果関係は、一部の相関関係だけに成立します


雨と傘には、相関関係が認められますが

雨が降ると(原因) → 傘をさす(結果) は、成立するが

傘をさすと (原因) → 雨が降る(結果) は、成立しない


気温とアイスの販売数には、相関関係が認められますが

気温が上がれば(原因) → アイスがよく売れる(結果)は、成立するが

アイスがよく売れれば(原因) → 気温が上がる(結果)は、成立しない





話をもどすと

このように、価値について

6つの相対が考えられるわけですが



要するに、価値というのは


自分の中のこと(価値観)においても

相対的〔ある絵を観て「美しいなぁ」と感じても

もっと美しい絵を観たら、前の絵はそうでもなくなる〕であるし


他人との関係においても

相対的〔「この服、欲しいよ だって今、流行(はやり)だもん」〕

であるということです



そして全ての相対において

対象であるモノやコトに、価値=必要性を与えているのは

主体であるということです




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