緋山酔恭の「価値論」真理とはなに? 釈迦の悟りと道元の悟り



価 値 論


q第四章

真理とはなに?


 




【 釈迦と禅と天台 編 】




釈迦の悟りと道元の悟り



瞑想や禅定(ぜんじょう)は

釈迦固有の実践法などではなく

古代インドのバラモン教からずっと行われてきたものです


禅宗の祖 達磨〔菩提達摩(ぼだいだるま)・?~530?〕は

こうした禅定をもってして、中国で一宗をおこしたわけです




仏伝(釈迦の伝記)によると


釈迦は、出家後、苦行に入る前に

アーラーラ・カーラーマという師について禅定を習い

師と同じ無所有処(むしょうしょ)という境地に達したといいます



しかし満足できず

次にウッダカ・ラーマプッタという師について禅定を学び

非想非非想処(ひそうひひそうしょ)に達したといいます




無所有処は

所有するものが、なにも無い境地



非想非非想処は

思うのでも思わないでもない境地

有無を超えて、無いことさえ無い境地 です



非想とは思わないこと

思わないことは思わないことを思うことであるから

さらにこれを否定して非非想としています

有想、無想を離れた凡智では理解しがたい境地とされています




釈迦は、この非想非非想処という

禅定の最高の境地においても

「まだ悟りを得ていない」として、長い苦行に入っていきます




釈迦は苦行を

12年間(7年また6年などの説も)修行したといいます


釈迦の苦行は主に断食であったと考えられています



結局、苦行によっても、根本的な苦を離れ

悟りに至ることはないと知った釈迦は、苦行林を出ます




仏伝中最も知られる「過去現在因果経」では


苦行を捨てた釈迦は、ガンジスの支流

尼連禅河(にれんぜんが・ナイランジャナー 現 パルグ河)

で沐浴をします



やせ衰えた釈迦の姿をみた

村の少女(牧女) スジャータは、乳粥(にゅうしょく・乳とも)を捧げます


釈迦は、苦行の禁を犯してこれを食し、体力を回復させます



こうして、身心ともに爽やかとなった釈迦は

近くの仏陀伽耶(ブッダガヤ)の菩提樹の下で禅定に入り


49日目の12/8の明け方に悟りを得て

「仏」(ブッダ)になったとあります




釈迦の≪悟り≫とは


「中道」〔苦行主義にも快楽主義にも偏らない道

極端に偏る=執着➝ 苦を生む〕


「空」〔全てが変化してやまない 一瞬一瞬変化している➝

それゆえ実体がない➝ ゆえに執着する意味もなく➝

執着が消えれる➝ 苦はなくなる〕


「縁起」〔全てが因と縁によって生起している〕です





釈迦の禅定とは、思索に集中することを目的に

心を清浄に保つための手段にすぎないものと言えます



ところが、大乗仏教においては

「始覚」(真理をさとって、はじめて仏になる)という考えに対し


衆生(生きとし生けるもの とくに人間)は

もともと本質的には仏であるという「本覚」という考えが生じました



そうなると修行の目的は

本来、自分が仏であることを知る(悟る)こと であったり

自己に内在する仏性を顕現していくこと となります



なので、悟りを得るというより

内在する仏性を顕現していく=悟りを開く

と表現されていくわけです




禅における本覚思想の完成形が

日本の曹洞宗の祖 道元(1200~53)の立場と言えます



道元の禅とは

坐禅によって悟り(成仏)を目指すのではなく

坐禅する姿が悟りそのものであるというものです



これを


「修証一等」〔しゅしょういっとう・修証不二ともいう

修行と証(悟り)が一体である 修行のなかに悟りがある〕とか


「本証妙修」〔ほんしょうみょうしゅ・

修証一等と同義で、本来的な悟りの上での修行〕とか


「生仏一如」〔しょうぶついちにょ・衆生と仏が一体〕とかいいます




坐禅は、菩薩行(菩薩の修行・

菩薩とは仏を目指す人)ではあるが

仏行でもあるということです


仏行ゆえに、悟りを得たのちも修行(坐禅)は

やめることなく続けることの必要性を意味しているといいます



また、禅を修行する者は

本来、悟りという真実に存在しているゆえ

その悟りを生活の中に働かせてゆくこと(修行)が

修証一等、本証妙修の精神であると言えるでしょう




禅の「分別するな」は間違え




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