【 釈迦と禅と天台 編 】 釈迦の悟りと道元の悟り 瞑想や禅定(ぜんじょう)は 釈迦固有の実践法などではなく 古代インドのバラモン教からずっと行われてきたものです 禅宗の祖 達磨〔菩提達摩(ぼだいだるま)・?~530?〕は こうした禅定をもってして、中国で一宗をおこしたわけです 仏伝(釈迦の伝記)によると 釈迦は、出家後、苦行に入る前に アーラーラ・カーラーマという師について禅定を習い 師と同じ無所有処(むしょうしょ)という境地に達したといいます しかし満足できず 次にウッダカ・ラーマプッタという師について禅定を学び 非想非非想処(ひそうひひそうしょ)に達したといいます 無所有処は 所有するものが、なにも無い境地 非想非非想処は 思うのでも思わないでもない境地 有無を超えて、無いことさえ無い境地 です 非想とは思わないこと 思わないことは思わないことを思うことであるから さらにこれを否定して非非想としています 有想、無想を離れた凡智では理解しがたい境地とされています 釈迦は、この非想非非想処という 禅定の最高の境地においても 「まだ悟りを得ていない」として、長い苦行に入っていきます 釈迦は苦行を 12年間(7年また6年などの説も)修行したといいます 釈迦の苦行は主に断食であったと考えられています 結局、苦行によっても、根本的な苦を離れ 悟りに至ることはないと知った釈迦は、苦行林を出ます 仏伝中最も知られる「過去現在因果経」では 苦行を捨てた釈迦は、ガンジスの支流 尼連禅河(にれんぜんが・ナイランジャナー 現 パルグ河) で沐浴をします やせ衰えた釈迦の姿をみた 村の少女(牧女) スジャータは、乳粥(にゅうしょく・乳とも)を捧げます 釈迦は、苦行の禁を犯してこれを食し、体力を回復させます こうして、身心ともに爽やかとなった釈迦は 近くの仏陀伽耶(ブッダガヤ)の菩提樹の下で禅定に入り 49日目の12/8の明け方に悟りを得て 「仏」(ブッダ)になったとあります 釈迦の≪悟り≫とは 「中道」〔苦行主義にも快楽主義にも偏らない道 極端に偏る=執着➝ 苦を生む〕 「空」〔全てが変化してやまない 一瞬一瞬変化している➝ それゆえ実体がない➝ ゆえに執着する意味もなく➝ 執着が消えれる➝ 苦はなくなる〕 「縁起」〔全てが因と縁によって生起している〕です 釈迦の禅定とは、思索に集中することを目的に 心を清浄に保つための手段にすぎないものと言えます ところが、大乗仏教においては 「始覚」(真理をさとって、はじめて仏になる)という考えに対し 衆生(生きとし生けるもの とくに人間)は もともと本質的には仏であるという「本覚」という考えが生じました そうなると修行の目的は 本来、自分が仏であることを知る(悟る)こと であったり 自己に内在する仏性を顕現していくこと となります なので、悟りを得るというより 内在する仏性を顕現していく=悟りを開く と表現されていくわけです 禅における本覚思想の完成形が 日本の曹洞宗の祖 道元(1200~53)の立場と言えます 道元の禅とは 坐禅によって悟り(成仏)を目指すのではなく 坐禅する姿が悟りそのものであるというものです これを 「修証一等」〔しゅしょういっとう・修証不二ともいう 修行と証(悟り)が一体である 修行のなかに悟りがある〕とか 「本証妙修」〔ほんしょうみょうしゅ・ 修証一等と同義で、本来的な悟りの上での修行〕とか 「生仏一如」〔しょうぶついちにょ・衆生と仏が一体〕とかいいます 坐禅は、菩薩行(菩薩の修行・ 菩薩とは仏を目指す人)ではあるが 仏行でもあるということです 仏行ゆえに、悟りを得たのちも修行(坐禅)は やめることなく続けることの必要性を意味しているといいます また、禅を修行する者は 本来、悟りという真実に存在しているゆえ その悟りを生活の中に働かせてゆくこと(修行)が 修証一等、本証妙修の精神であると言えるでしょう 禅の「分別するな」は間違え ![]() 禅宗の「悟り」について (ひとつ戻る) |
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